小倉武一の見識 H26.8.31日経

今日の日経からです。

小倉武一といえば、農政では有名な人ですが、米偏重の農政を批判していました。

食料が余った1970年代、諸外国は輸出という手段を選んだのに対し、日本では減反という道を選びました。

なぜそんな道を選んだのか、徹底的に究明する必要があると個人的には思っています。

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「かつて五穀豊穣を願ったのをいつのまにか忘れて、コメだけの一穀豊穣を祈った農政の帰結である」

元農林次官の小倉氏はコメ消費の減少を予測していた(1989年)

 旧農業基本法の制定を主導した小倉武一は、農林省を退官した後の69年に新聞にこんな文章を寄稿した。コメの過剰が深刻になったことへの批判が込められていた。この年、コメの生産調整(減反)が始まった。

 寄稿の9年前、次官だった小倉は農林省で講演し「(コメの)1人当たりの消費は経済の伸長に応じて減るという転換点に立っている」と語った。基本法は翌61年に施行された。

 小倉の言葉が示すように、日本人の食生活が変わり、コメの消費が減ることを農政はすでに予想していた。基本法は需要が増えそうな作物に政策を集中することを目指したが、コメは本来その対象ではなかった。

 現実の農政はそうはならなかった。旧食糧管理制度のもとで農家に高い米価を払い続け、コメ中心の農業からの脱却を妨げた。農家のほとんどがコメをつくっているという数の論理が、政治に圧倒的な影響力をふるい続けたからだ。

 だから93年にコメ市場の部分開放が決まったことの衝撃は大きかった。農水省はじつはこの前年、国際競争の激化に備え、市場原理を重視し、これまで以上に競争を促す農政にカジを切る方針を表明していた。だが市場開放への怒りのエネルギーが、農政の抜本的な転換をまたも阻んだ。

 混乱は94年10月に極に達する。非自民の政権はすでに倒れ、新たに自民・社会・さきがけの3党が政権についていた。「金額が少なすぎて議論にならない」。ラウンド合意の対策費として政府が3兆5000億円を示すと、与党議員から不満が続出した。

 「最低でも1年で1兆円」。まるでセリで値をつり上げるような議論が進み、6年間で6兆100億円の対策費が決まった。対策が公表されたとたん「ばらまき」との批判が出た。ではそれだけの事業費をつぎこんで、農業は革新できたのか。

 環太平洋経済連携協定(TPP)への参加を目前に控えた昨年4月、衆参両院の農林水産委員会は5つの品目を関税撤廃の例外とするよう求める決議を採択した。いわゆる「聖域」5品目だ。当然のように、コメもそのなかに入っていた。

 米価は減反で下支えし、輸入はミニマムアクセスで制限し、さらに手を替え品を替え稲作農家に補助金を注ぎ込んだ。それでも、市場開放がちらつくと「壊滅する」と心配する状況はいまも変わっていない。

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